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2008-09-06

東川源流を辿る旅④-新東橋~深井醤油

有楽町地区

 新東橋を過ぎてすぐ、和歌(短歌)の墨書が立てられていた(21)。
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山のまに雪は降りつつしかすがに川楊は萌えにけるかも

 誰が何のために立てたのかわからないが、きっと、この方の東川への愛を表現したものなのだろう。ちょっと季節外れだが。

 さて、松井橋から先は、石積みの護岸と濃い緑にグッと風情が高まる。川辺に歴史が刻まれているようで、どこか地方の城下町にでも迷い込んだ感じだ(22)。
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 またこの地域は、春は桜の名所としても名高い。川を覆うように咲き乱れる桜が、いっそう風情を高めて、ちょっとした旅行気分も味わえる。昼間もよいが、淡い提灯の灯りに浮かび上がる夜の桜もお薦めだ。

 千歳橋を渡ると、堂々たる長屋門の能面美術館がある。

 少し進むと、熊野神社と西新井不動尊が川沿いに並んでいる(23)。縁起書きによると、熊野神社の建立は1459年。現在でも、境内には元禄年間(1688~1703)に建てられた旧本殿が保存されている。一方の西新井不動尊の建立も江戸初期と古く、明治初期には堂内に寺子屋式の塾が開かれ、地域の子どもに読み書き算盤を教えていたという。
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 ちょっとお腹が空いたという向きは、少しコースを逸れ、国道463号線沿いの伝家でラーメンでもすするとよい。いわゆる横浜家系ラーメンの濃厚なスープと腰のある麺に人気も高く、大勢が航空公園に遊びに来るよく晴れた休日などは、昼時には行列もできる。
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 突然桜並木の緑のトンネルが途切れ、いきなり視界が広がると、所沢市街の入口に立つ(24)。航空公園から市街へ向かう飛行機新道が、ここでは上り下りで川の両側に分かれ、その上を西武新宿線が横断している。
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 川の北側には、かつて御幸町駅という小さな駅があったという。『むかしのところざわ百景』(峯岸正雄著、所沢図書館所蔵)によると、戦後の早い時期、まだ所沢飛行場が米軍基地だった頃、駅に登る階段で米兵の帰りを待つオンリーさんの姿を見かけたそうだ。

 西武新宿線をくぐってすぐ、古めかしいが、どことなくモダンな雰囲気を漂わせる旭橋と出会う(25)。橋には、「昭和五年三月竣工」と彫られた銅板も埋め込まれている。
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 「思い出で綴る故郷・所沢散歩」によると、かつては「巨大な赤御影石には画期的な彫刻をし、欄干には青銅、タイルで装飾、六角形の唐草模様をあしらった豪華な青銅の電燈を要所に取り付け、夜間は明るく実に見事で本を持って読みに来る若者の姿が見られた」とある。残念ながら、青銅の電燈部分は、戦争中にすべて供出されてしまったそうだ。

 この旭橋から先の東川沿いは、かつての所沢一の歓楽街。「浦町」といわれた一帯には、戦前までは料理屋や演芸場が建ち並び、芸者の行き交う粋な街だったという。戦後は一時期、赤線(もしくは青線)だったという話もあり、米兵や基地で働く男たちを慰めていたともいわれる。そう言われれば、どことなしに隠微な残り香を漂わせる。「有楽町」(うらまち)という町名に、その名残がある。
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 旭橋から川沿いに進み、鳥居橋を渡ると横宿通りに出る。この辺りで川幅は一気に狭くなる。
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 川を背にして少し進むと、右手に「港屋」という質屋の蔵が、白壁も美しく立っている(26)。実は、かつては所沢も、川越に負けない蔵の街で、こうした蔵が随所で見られた。むしろ今では「タワーマンションの街」になってしまったが、こうした歴史遺産を活用した街づくりはできなかったものかという思いもよぎるが、今となっては後の祭りだ。
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 港屋の角を右に折れると、一気に場末感が濃くなってくる。突き当たりを左に曲がると、寂しげなネオンサインが連なる盃横丁だ(27)。うらぶれた横丁の向こうに、超近代的なタワーマンションが天を突く姿は、見事なコントラストをなしていて、ある意味、一番今の所沢らしい風景かもしれない。
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 盃横丁を抜けたら、表通りを右へ。信号を超えた床屋の先に、古い町屋が見えてくる(28)。ここは、元は所沢を代表する綿糸商・秋田家という商家(屋号は井筒屋)で、最近では「井筒屋町造商店」として、市街地活性化の拠点として活動していた(現在は場所を移転し、野老澤町造商店として活動)。
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 信号まで戻って左折した小道を秋田新道と言う。先述した錦糸商・秋田家が明治43年(1910年)に開いたことからそう呼ばれている。そこにかかる小さな橋も、秋田家にちなんで井筒橋と名付けられた。この秋田新道には、筆者が所沢に越してきた1980年代はじめ頃、古びた旅館と小さなパチンコ屋(すでに廃業していた)、そして、確か小鳥屋があった。この通りに来るたび、ひなびた温泉街に迷い込んだような錯覚を感じたことを憶えている。
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 その井筒橋を渡った先の十字路に、コロッケが有名な荒幡肉店がある(29)。昭和7年創業という店は、本当に昔ながらの肉屋で、総菜が充実している。ここのコロッケは、昔からこの辺りの中高生のおやつとして親しまれ、筆者も高校時代、下校途中でよくお世話になった。
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 荒幡肉店を左折して、ひとつ目の角を左へ。再び川沿いに戻ってくると、唯一残った遊郭の跡、三好亭が立っている(30)。典型的な木造妓楼建築で、戸袋や窓枠のデザインなど、細部の意匠が凝っていて、往年の栄華を感じさせる。川を従えたその姿を眺めていると、今にも三味線の音でも聞こえてきそうだ。
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 川を背に来た道を戻り、先ほどの角を左手に行くと、薬王寺の山門が右手に見える(31)。
 南北朝時代、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の呼びかけに応え挙兵した新田義貞の子、新田義宗が開基と伝えられ、その最期の地であったともいわれている。小手指ヶ原古戦場しかり、所沢には新田義貞ゆかりの地が多い。
 境内には、相当の樹齢があろうと見られる古木が立ち並び、傍らのブランコがいかにも田舎寺風で、住民との距離が近い感じがいい。
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 薬王寺を出てさらに進み、最初の角を左へ曲がると、堂々とした木壁の向こうに白壁の蔵が連なる道に出る。ここは醤油の醸造元、深井醤油だ(32)。創業は「安政の大獄」の2年前、安政3年(1856年)というから、老舗中の老舗。なるほど、この一帯だけ何か時が止まったように感じられるわけだ。
 その先の直売所では、醤油のほかにも名物の「たまり漬」や花林糖なども販売している。
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■思い出で綴る故郷・所沢散歩
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theme : 埼玉県
genre : 地域情報

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