FC2ブログ
--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-07-25

鉄瓶横町-飛行機見物がレジャーだった頃

 航空公園南側の手押し信号、熊野神社東の信号から浦所街道(国道463号線)を渡り、旭町交差点を抜ける道は、高校時代の筆者の通学路であった。
P1050182.jpg

 千歳橋で東川を渡り、古い長屋門の前を通り過ぎ、大きな農家が続く坂を登ると、すでに鉄筋コンクリート化されていた昌平寺の前に出る。堂々たる長屋門といい、東川沿いの風情といい、歴史が折り重なったようなこの道が、私は好きだった。

 その長屋門のあるお宅が、10年も前から能面美術館となっていたのも知らなかったが、この道がその昔「鉄瓶横町」と呼ばれていたなどとは、もっと知らなかった。
P1050077.jpg


 その話は、能面美術館館長で能面作家の福山元誠氏からうかがった。福山氏によると、現在の航空公園や米軍通信基地が「所沢飛行場」と呼ばれていた頃、飛行演習の日ともなれば、この道は所沢駅から飛行場へ向かう人々で賑わったという。熊野神社東の信号あたりに教育隊正門があったからだ。そんな飛行機見物客に、長屋門宅の家人が鉄瓶でお茶を沸かし振る舞ったのが、そのいわれだそうだ。

 日本初の飛行場として所沢飛行場が開設されたのが1911年(明治44年)、開設と同時にアンリーファルマン機による最初の飛行が行われているので、長屋門宅の家人が鉄瓶でお茶を沸かし振る舞ったのも、この頃のことであろう。まだ飛行機そのものが珍しかった時代ゆえ、飛行機見物が物見遊山、つまりひとつのレジャーとして成立していたのだろう。

 『所沢陸軍飛行場史』(小島敬司著 所沢図書館所蔵)には、こんな記述がある。

町の人人は勿論、まだ暗いうち遠くから提灯を持って飛行演習を見物にくる人で賑わい、見物人を目当てに茶店も出、山田呉服店は紅白幕を張った桟敷に得意客を招待した。臨時軍用気球研究会(※所沢飛行場に試験場があった)でも気象観測所の屋上に旗を立てて、「演習なし」(白)、「準備中」(赤白)、「飛行」(赤)を知らせた

 また、サイト「所沢飛行場物語」にも、以下の記述がある。このサイトには、見物の様子を描いた絵画や飛行機拝観券も掲載されている。

所沢飛行場ができ、飛行機や飛行船が飛びはじめると、飛行場には連日多くの見物人がやってくる様になりました。近在の人はもちろん、なかには、はるばる東京から夜通し歩いて来る人もいました。見物人のために食べ物屋やみやげ物を売る店も並び、桟敷席をつくり、一人10銭で見物させても、満員のお客さんでにぎわったそうです

 同じく「所沢飛行場物語」のサイトにには、「所沢飛行場開設時の飛行訓練の様子を載せた新聞記事」が紹介されている。

見物人は汽車路より畑より道路より馳せ集まる。東京より来りて見物せんと欲するものは、前日午後所沢の前駅東村山迄来りて1泊し、朝5時迄に所沢に来るを良策とす。所沢の宿舎は殆ど満員なれば、所沢に泊らんとすれば普通の民家に頼むべし

 前日に東村山まで来て一泊とは、いやはや立派なレジャーである。当時、生糸や織物で栄えた所沢に多数あったはずの宿屋が満員だったとは、どれだけの人出だったことか。鉄瓶横町が見物客で賑わったのもうなずける。

 時代は下って、前年に日中戦争も始まっていた1938年(昭和13年)、さすがに飛行機見物も下火になったであろう頃、今度は鉄瓶横町に軍靴の音が響くようになる。鉄瓶横町から旭町交差点をわたった先の一方通行の踏切のあたりに、飛行場への通勤駅として、すでに1915年(大正4年)には営業開始していた武蔵野鉄道(現西武池袋線)に旧東所沢駅(当初は松井駅。現在の武蔵野線東所沢駅とは別)が開業したからだ。
P1050183.jpg

 観光の道から、軍靴の道へ。いまは抜け道として、すれ違いもスレスレにクルマが行き交うこの道には、やはり歴史が折り重なっていた。

■思い出で綴る故郷・所沢散歩
スポンサーサイト

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-23

デルタ兄弟が唄う「お前とやりたいだけなんだ」

 「ブルース・バンド」を名乗るバンドで、もう一度見たいと思わせるバンドは、実はあまりない。それはたいがい、「ブルース・ギター・バンド」であって、しかも往々にして、アピールのわりにギタリストのブルースを感じることが少なかったりする。唄としてのブルースを聴かせるところに、これまであまりお目にかかったことがなかったのだ。

 しかし、2008年7月19日、所沢の音楽喫茶MOJOの「おやじのゲンコツnight(仮)」で出会った彼らは、本来の意味でのブルースをしっかり聴かせる珍しいバンドだった。かねてより彼らに心酔していたMOJO店主の工藤昭太郎氏のたっての希望で、出演がかなったそうだ。

 彼らデルタ兄弟は、1996年に結成。ボーカル・ギターのKing☆JIROを中心に、ハープの昌、ベースの長岡裕二、ドラムの横山哲也の4人を中心に、ときおりギターやピアノのサポート・メンバーを加え、全国のライブ・ハウスやバーで活動しているという。ちなみに、横山哲也は、MOJOのブルース・セッションでマスターを務めることもある。
080719delta.jpg
[写真提供]eririn-mojo

 「俺たち、デ・ル・タ・兄・弟です」というお決まりのフレーズで始まったステージは、往年のブルースの名曲にオリジナルを加えながら、次々と展開していく。腰に絡みつくようなKing☆JIROの低音ボーカルは、マディ・ウォーターズを彷彿とさせるスケールの大きさと、プレスリーのような艶っぽさ、ジョン・ベルーシのような茶目っ気を併せ持つ。そこに、野太さのある昌のハープが被さり、それらを軽妙で切れのよいリズム隊が支える。

 一番気に入ったのは、とかくよそ行き顔で演じがちなブルースを、生活臭たっぷりに、自分たちの言葉として演奏していたことだ。特に、King☆JIROの実体験なのか、コンクリートミキサー車を運転中に、国道で生コンをぶちまけてしまった詩など、黒人労働歌のルーツを想起させる。

 また次のように、英語の歌詞をしっかり日本語としてものにしているところもいい。

オレはお前に服を洗ってほしいわけじゃない
オレはお前に家にいてほしいわけじゃない
金が目当てってわけでもないんだ。
オレはお前とやりたいだけなんだ
ただお前とやりたいだけなんだ


 これはマディ・ウォーターズの「I Just Want To Make Love To You」だが、邦題ではたいてい「恋をしようよ」。しかし、この方がよっぽど正しかろう。このフレーズをKing☆JIROがくり返すのだが、何のてらいもなくやるものだから、いっこうに不潔さを感じさせない。むしろハートすら感じられ、これぞブルースだ。

 逆に、美空ひばりの「リンゴ追分」を、完全な日本語で歌っても、なぜかしっかりブルースになる。恐るべし、King☆JIROの表現力。

 近いところでは、川口たたら祭りに4人で出演するという。所沢での公演は今のところ予定されていないようだが、ぜひ近々、所沢に舞い戻ってもらいたいものだ。

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-17

ロケットと花とおじさん

 新所沢の駅前にロケットスタジオというちょっと変わったヘアサロンがある。正しくは、「カリプソ&ロケット」かもしれない。

 そのロケットでなぜか、この6月中旬から花を売っているという。行ってみると、線路脇駐輪場沿いの、どちらかと言うと猥雑な飲屋街の一角で、華やかでおしゃれな空気を醸し出していた。
P1050170.jpg

 この店の経営者は早川伸生さんという方だが、『美容の経営プラン』という業界紙でヘアコラムを持っているし、よく海外や地方のヘアショーに出かけていくので、その道ではかなり有名なのかもしれないが、この辺りでは、ヘニョッとした印象でおしゃべり好き、ときどき意味不明なおじさんで通っている。

 でもなぜ、美容室に花? ちょうどヘア雑誌か何かの取材を受けていたところに割り込んで、話を聞いた。

筆者「なんで花売りをはじめたんスか?」
早川氏「ジェフリー・アーチャーの『チェルシー・テラスへの道』じゃないけど、路傍の花売りのイメージなんだよね」
筆者「???」
早川氏「だから、なんかこう、ワゴンでお花を売り歩いているような雰囲気をつくりたかったの」

 と、のっけから意味不明な言動で筆者を煙に巻く。どうも、道ばたで野菜の引き売りをしていた主人公が最終的にはデパートを作ってしまうというサクセスストーリーとは、あまり関係がないようだ。

 仕方がないので、会話が成立しそうな店員を捕まえて、ちょっとは使える情報を得ようと試みる。

 それによると、花は毎週水曜日に大井市場まで買い付けに行っているそうだ。なぜ、そんな遠くまで足を伸ばすかというと、やはり珍しい品種を仕入れ価格でそれなりの点数揃えようと思うと、大井まで足を伸ばさなければ無理なようだ。

 なるほど、ちょっと見ただけで、変わったものが多いことがわかる。かすみ草など、けっして置かなそうだ。
P1050169.jpg

 このときの品揃えの一端を上げてみると、
●アーティチョーク(朝鮮アザミ)
欧米料理で一般的な食材。前菜などに用いられるそうだ。
●カリプソ
マレーシアを代表する洋ラン品種。花瓶に生けておくだけでかなり持つそうだ。
●スモークツリー
名前の通り、ちょっと煙っぽい。
●ニュードリーミー
ドラセナという観葉植物の一種らしい。どうも秋のものらしいが。。。

 と言っても、そのときどきで仕入れるものが違うので、上記品種が必ずあるというわけではない。値段も1本150円~500円程度と、ちょっと高め。しかし、一つひとつにしっかり存在感のあるものばかりだから、本当に好きな人が、自分のために買うものなのだろう。けっして、お見舞いや知人宅訪問の際に、ちょっと手持ちぶさただからといって買い求めるような花々ではない。

 早川氏によると、そもそも店を会社組織にするとき、なぜか定款に「花き販売」の一言を入れていたとか。「何かそのとき、思いつくものがあったんだろうね」。

 「ヘアカットもそうだけど、お花も別に何か腹の足しになるものではないし、実益があるものではないでしょ。でも、〝そういうのっていいよね〟っていう感覚を伝えていきたいのね」と早川氏。

 全然儲けにはなっていないそうだが、しっかり街の華やぎには貢献していた。

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-13

失業中の仏さん

 東川沿いを行くと、東新井と牛沼のちょうど境目に、境橋という小さな橋がある。浦所街道からでは、東新井町信号と若松小学校信号の間、デニーズの脇を南へ入っていったあたりだ。

 ここに小さな石仏がある。東新井庚申塔と言うそうだが、かなり痛みが激しく、かなりの年季と見受けられる。
P1050070.jpg


 それもそのはず、左側面に記された建立日を見ると、「寛政十戊午8月吉日」とある。寛政10年と言えば1798年、210年前のことだ。

 右側面には「武州入間郡下新井惣村講中」の文字。イッシーのホームページによれば、下新井村は1889年に周辺3村と合併して松井村となったそうだから、やはり建立はそれより以前ということになる。

 『松井の石仏』(松井公民館編 所沢図書館所蔵)によると、正面に刻まれた仏像は「青面金剛」と言うそうた。

 青面金剛は日本の民間信仰の対象で、干支で言う庚申の日(60日に1度)に人々が集まり、神仏を祀って徹夜をする行事「庚申講」の本尊という(by Wikipedia)。この東新井庚申塔のように、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿とともに青面金剛が彫られるというのが、庚申塔のスタンダードらしい。

 また、別のネット資料によると、青面金剛は六つある仏の種類で言うと「垂迹」にあたり、「悪いヤツラをやっつけるホトケ」なのだそうだ。

 さらに、『松井の石仏』に面白い記述を見つけた。
「いぼとり、魚の目とりに御利益があるそうで、いぼができると庚申様に土で作った黒だんごを供え、その後いぼがとれてなくしてくれたら米で作った白いだんごをお供えします、と唱えてお祈りをしていたと言うことです」
なんとなく、往事の情景が目に浮かんでくるようだ。

 以前は橋の反対側にあったと、すぐ脇のお宅で聞いた。ただし、このお宅も縁起などはご存じなかったから、庚申講も今は昔、青面金剛も失業中ということか。

 でも、なぜ橋の欄干に鍋?
P1050071.jpg

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-13

柳瀬川にアユ

 清瀬、所沢と渡り歩いた身としては、柳瀬川と言えば、幼少時代から身近に親しんできた川だ。

 しかし、記憶の中のこの川がきれいだったためしはなく、川底にはいつもヘドロ状のぬめりがあったと思う。それでも、ジャブジャブと、その川で遊んでいたのだから、いま考えるとちょっと恐ろしい。

 ところが最近、その柳瀬川で釣り糸を垂れている人をよく見かけるようになった。しかも、年々その数は増えているような気がする。

 筆者も釣りキチ三平キッズ時代、近所のこの川で釣りができたら、学校から帰ってカバンを置いたその足で釣りに行け、どんなに楽しかろうと夢想したものだった。

 それが今や、現実のものとなっている。休日ともなれば、滝の城跡公園のあたりでは、何人もが釣り糸を垂れているのを見かける。

 これは一度、自分で確かめて見なければと、押入の奥から竿を引っぱり出して、出かけてみた。

 某日朝8時、東川と柳瀬川の合流地点、清柳橋付近に付くと、すでに先行者が橋上流に2人、下流に4~5人と、大変な賑わい。こりゃ、本物だ。はやる心を抑え、さっそく準備に取りかかる。

P1050042.jpg


 仕掛けはミャク釣りで、4.5mの渓流竿に0.6号の道糸、ハリス0.4号・針7号のヤマメ針。餌は、前日に上州屋狭山ヶ丘店で仕込んだサシ。と言っても、ブランク20年以上の筆者故、このデータを参考にするのは控えられたい。
P1050039.jpg


 さて、釣り師復活の記念すべき第一投を振り込むと、さっそくの当たり!、と思いきや、さっそくの根がかり。いわゆる「地球を釣った」というやつだ。とほほ。

 30分程度悪戦苦闘すると、ついに来た。かわいいヤマベ(オイカワ)ちゃんだ(たぶん)。
P1050041.jpg


 そんなこんなで、2時間程度遊んでいると、同様のヤマベがあと2匹ほど上がった。それほど魚影は濃くないようだが、確かに魚はいる。

 近くで釣っていた方に聞いてみた。
筆者「すみません、何が釣れてるんですか?」
釣り人「アユだよ」
筆者「え?アユ? アユなんて釣れるんですか?」
釣り人「そう。まだ子どものやつね。数年前から、荒川のからのぼるようになったみたい」
筆者「みなさんそうなんですか?」
釣り人「たぶんそうだと思うよ。でも、もう時期は終わったね。6月の中頃までは面白いように釣れたんだけど」

 なんと、アユとな。そんなに柳瀬川はきれいになったのか。

 確かに、埼玉県水環境課のデータ(2006年度)では、県内でも中の上くらいのようだ。荒川への合流点近くでは、入間川中流域と遜色ない。釣りキチ三平キッズ時代は、柳瀬川を見限って、もっぱら入間川までチャリンコを転がしたものだった。県内全流域の生活排水処理率は約92%まで達しているというから、やはり下水道の整備により生活排水が流れ込まなくなったのが、浄化の一番の理由なのだろう。

 通常、釣りに入るのに必要な入漁料などは、今のところ不明。当然、荒川では放流なども行われているのだろうから、必要ならば払わなければなるまい。問い合わせは埼玉南部漁業協同組合まで。

■埼玉南部漁業協同組合 TEL/FAX 048-642-5706

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-11

そっちは取り締まりませんから-駐禁天国と地獄

P1050113.jpg
上の写真は、新所沢駅西口からロータリーを南プラザの角で曲がった先、中砂公園十字路を、西友駐車場側から見た写真だ。左手にうなぎ新妻が見える。
今回、この十字路に、ドライバーにとって天国と地獄を分ける見えない境界線があるという噂を聞いた。

証言の内容はこうだ。
「いや、この間のことなんだけどね、ちょっと近所に用事があって、中砂公園の脇(※写真左手のフェンス沿い)にクルマを止めておいたんだよ。

それで戻ってきたら、ちょうど中砂公園十字路のところに駐車違反監視員がいてさ、泡食ってクルマに戻ろうとしたわけ、『あーすいませーん、いまどかしまーす』なんつってね。

そしたら何て言ったと思う?
『だいじょぶですよ。そっちはやりませんから』だって。

監視員に聞いたわけじゃないけど、どうもあの辺で重点地区っての?その境があるらしいんだよね」

小泉構造改革以来の民間委託ばやりで、昨今は駐禁取り締まりまで民間業者に委託する始末。そのお陰で、取り締まりがきめ細かになって泣いたドライバーも多いはずだ。
うーむ。ここはひとつ、調べてみる価値はありそうだ。

さっそく、検索サイトで調べてみると、あったあった。所沢警察署「駐車監視員活動ガイドライン」なるものが。ここにしっかりと、図解入りで最重点地域が出ているではないか。なかなか警察も親切だな。

むむ!しかし、その中の「新所沢駅西口周辺」の図を見ていただきたい。
どうみても、これは新所北側の踏切を渡る道、すなわち所沢川越線までが最重点地区に入っているように見える。中砂公園十字路の先まで、しっかりと最重点地域に含まれているではないか!
むむむ。こりはいったいどういうことか。ガセネタをつかまされたか?

手元の所沢市の地図(昭文社2008年2版4刷)で確認してみる。

やや!なんと、緑町1丁目の北限は、線路脇自転車置き場から発して、そば雅庵の前を通り、中砂公園十字路を経由して、所沢狭山線をセブンイレブン&香港屋台麺の手押し信号を突っ切るというライン(※下記図中の点線)で引かれているではないか!

そのラインを北側、つまり所沢川越線側に超えると、そこはもう、緑町4丁目だったのだ。

つまり、「ガイドライン」図中にある「緑町1丁目」「」緑町2丁目」の文字が正しく、図自体はちょっと欲張ってしまったというわけだ。噂の主の証言通り、やはり最重点地区は中砂公園十字路までと解釈するのが、どうやら正しいようだ。

この調査の結果を図にまとめると、以下のようになる。
赤いエリアが最重点地区、青いエリアが駐車天国というわけだ。
080710map.gif


やはり、証言は本物だったようだ。
しかし、ドライバー諸君。駐禁はいかんよ。

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-11

レンタルルームって何だ?

以前より気になる看板。レンタルルーム「メルヘン」。
場所は、新所沢パルコの脇と言えば、おわかりになる方はおわかりでしょう。
どう見ても、会議室や貸スタジオ、トランクルームには見えん。

P1050104.jpg


そこで、さっそく調査を開始した。

--街の噂--
「あれ?風俗でしょ」
「まっ、看板見れば一目瞭然じゃん」
「トランクルームみたいなやつ?」

--予想--
「うーむ。この格差社会のご時世。ホテル代も捻出できぬ若者のため、はたまた飲酒運転厳重取り締まりの中、飲み屋で口説いてホテルに行くまでが危険というニーズに応え、格安で愛欲を結び合う場所を提供する新手の商売なのではあるまいか・・・」

--突撃取材--
薄暗い階段を上り、おそるおそるドアを開ける。
店内は小さな会計カウンターと、マッサージ屋にも似た小さく仕切られた小部屋の連続。
筆者「あのー、これって風俗ですか?」
店員「いいえ、デリヘルを呼んでいただくための貸部屋になっております」
料金表には部屋代基本料金と延長料金が。
筆者「料金の方はいかほど・・・?」
店員「全部で14000円となっております。ご利用されますか?」
筆者「ああ、えとっ、うーん。。。(財布の中身を確認)あっ、いやっ、お金足んないみたいなんで、すっ、すみません」

なーんだ。そういうことか。
でも待てよ。この格差社会で、ホテル代+デリヘル代という贅沢はできぬプア層にとっては、込み込み14000円というのは、確かに事前の予想は当たらずも遠からず。

などと、世間知らずの筆者はひとりごちていたが、世の中には便利な情報源がある。
さっそく、Yahoo!で「レンタルルーム デリヘル」で検索してみると、なぁんだ、あるぢゃないか。
http://www.r-kingdom.com/とか、
http://www.appeal.jp/room&space/king/system.htmlとか。

さらに、調査を進めると、ちゃあんと利用記もあるぢゃないか
(※ただし、これがメルヘンのことかどうかは未確認)
http://www5.ocn.ne.jp/~matrix/rpt07/swe_derh.htm

でも待てよ。要するに、これって昔の色街の茶屋・色茶屋と同じじゃないか。

「人間は変わらない。姿を変えるだけである」 by ハイデガー(嘘)

などと、くだらない冗談を書いていたら、筆者の海馬と大脳新皮質がシナプスでつながる音が聞こえた。
「って、前にもまったく同じようにドアを開けて聞いたことがあるぢゃないか!」

「人は忘れる動物である」 by エビングハウス(本当らしい。。。

■参考図書
『赤線跡を歩く』(木村聡著 自由国民社刊)
『近代庶民生活誌14』(南博・責任編集 三一書房刊)

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

2008-07-08

ゆる~く学習-柳瀬歴史民俗資料館

国道463号線を東へ抜けると、所沢もめっきり田舎めく。
特に、日比田交差点を右折した間道沿いは、会社の倉庫や作業場も並ぶ中にも、古い農村を感じさせる。
この道は、清瀬方面へ抜けたい者が、ラッシュ時の亀ヶ谷交差点を避けるショートカットでもある。

そんな畑の中にポツンと、木造平屋建ての柳瀬歴史民俗資料館がある。

P1050055.jpg


この一帯、すなわちいまの所沢市下でも、坂之下、城、南永井、亀ヶ谷、日比田、本郷、東所沢、そして東所沢和田の一部は、以前は柳瀬村という独立した自治体であった。それが1955年(昭和35年)、いわゆる「昭和の大合併」で、三ヶ島村とともに所沢市へ編入され消滅したという。1955年と言えば、私が生まれる前とは言え、つい最近のことだ。

そんな旧柳瀬村の歴史と、往事の生活を偲ぶ所蔵品を展示したのが、この資料館だ。収蔵品は、もともと地域住民が柳瀬小学校に寄贈したもので、地域の歴史学習などの授業で活用されていたらしい。それを、現在の場所に移設し、一般への公開するようになったという。

入口でスリッパに履き替えると、脇の事務所から係りのおじいさんが出てきて、電気をつけてくれた。入場は無料なので申し訳なく、せめてもと記帳する。記帳者はもちろん市内が多いが、都内から訪れている方もいるようだ。

資料館の運営は柳瀬地区長会によるものらしいので、系統立てた展示もなく、視覚的に訴えるものでもないが、その分、雑多に並べられた品々が手作りを感じさせて親しみやすい。

P1050047.jpg


所蔵品でも、やはりボリュームがあるのは、昔の農機具の数々だ。特に、堆肥籠や脱穀機のたぐいなど、麦作に使ったものが多く、米の取れなかったこの地域の風土を感じさせる。

また、地域住民の寄贈とあって、明治から戦前にかけての、この種の博物館としては比較的新しい所蔵品が多いのも特徴だ。「くろがね」と印されたネームプレートがイケてるオート三輪が目を惹く。ごつい窓枠が時代を感じさせるし、かわいく横にピョコッと飛び出ているのは、おそらくウインカーなのだろう。纏<まとい>や法被<はっぴ>、発電器を大八車に乗っけたような放水ポンプからは、村の若衆のかけ声が聞こえてきそうだ。

P1050056.jpg

P1050057.jpg


帰り際、「おじゃましました」と声をかけると、おじいさんはわざわざ奥から出てきて「ありがとうございました」と言ってくれた。自宅から目と鼻の先で、このテンポ感はなかなか得難い。

交通手段は東所沢駅または所沢駅からバスで、どちらも「柳瀬小学校」で下車、徒歩5分だそうだ。クルマの場合は、資料館に向かって右脇にちょっとした駐車スペースがある。

毎日開館しているわけではないので、行かれる方は必ず資料館のサイトで確認されてから行かれたい。

■昭和初期のころの柳瀬の地図(所沢市立柳瀬小学校サイト内)
■柳瀬歴史民俗資料館

theme : 埼玉県
genre : 地域情報

FC2カウンター
検索フォーム
所沢お役立ちリンク集
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。