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2009-01-22

今夜はどこで何を喰らおうか~シントコ食べ歩きマップが登場

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 「回遊性のある街」というのは、全国の商店街が街づくりに取り組む際、必ずと言ってよいほど掲げられるテーマのひとつだ。あっちの店、こっちの店と出入りして、そのつどお金を使わなくても、1人の滞在時間が永ければ永いほど、街の賑わいが得られ、結果的に全体に落ちるお金が多くなるという考え方だ。

 その点、物販はいざ知らず、飲食店、特に飲み屋に限っては、新所沢はそもそも回遊性の高い街だ。「回遊性」と言うとカッコよく聞こえるが、要はハシゴする呑んべえが多いということだ。

 そんな新所沢で今年に入ってすぐ、「シントコを美味しく、楽しく」と銘打ち、新所沢駅周辺の飲食店を紹介した『shinpo 食べ歩きマップ』が登場した。
 53店舗も掲載した本格的な飲食店ガイドは、おそらく新所沢でははじめてのことではないだろうか。居酒屋からバー、焼き鳥などの飲み屋をはじめ、ラーメン屋や寿司、カフェやカレー、イタリアンなどのレストランまで、多種多様な店の集積は、いまさらながらに新所沢の懐の広さを感じさせる。掲載店はマップ上に番号で示されているので、道案内もお任せだ。

 『shinpo』というネーミングには、中心になってこれを発行した「新所沢飲食店倶楽部」に集う若手経営者7人(高山商店グラップルエル・ボラッチョ炎家ブコビッチトンボ)の思いが込められているという。曰く、「街に出て、賑わいある空間と時間を楽しめるという思いを込めた造語」(「はじめに」より)だとのことで、新所沢の通称である「シントコ」と「進歩」「散歩」などをかかけているそうだ。

 この7人が、「何か街を盛り上げる面白いことやりたいね」と集まったのが2008年の秋口。それから毎週1回のミーティングを重ね、コンセプトを練り込んだそうだ。ガイドマップ作りを決めてからは、開店前の時間を使って、手分けして掲載協力の依頼に奔走した。協力店からの掲載料1万5000円と、所沢市の「商工業若手経営者グループ研究事業助成金」約20万円を得て、完成にこぎ着けた。いわば〝街ぐるみ〟で作ったガイドマップといえるだろう。

 『shinpo』は、上記7店のほか、掲載店や市役所、フィットネスのわらわら航空公園店DOODLIN'ROBOTカリプソ&ロケットなどの美容室で配布されている。制作した2万部すべてを配布しきるまで、まだまだ配布場所は拡大中だ。
 経営者の代替わりが進む新所沢で、若手7人が仕掛けた取り組みがどんな実を結んでいくのか、今後も注目していきたい。

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人が集い、語らう。それが「シントコ」の魅力だ



■インタビュー 新所沢飲食店倶楽部 三木渉代表(高山商店)
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 「代表者なのは、単に一番年上だったから」と照れる、今回の発行元「新所沢飲食店倶楽部」代表の三木渉さんにお話を聞いた。

--シントコの若手呑んべえには「コース」になっている店が集まってますね

 そうですね。比較的店主同士も仲が良く、お客さんも行き来している店同士で「何かやりたいね」って話で盛り上がったのが最初でした。
 でも、ぼくたちも店を始めるずっと前からこの街で呑んでいて、チェーン店ではなく個人店が多いこの街が好きで店をやって来たので、自分たちだけで何かやったら、その魅力に気付かせてくれた先輩たちにも失礼だし、ただの仲良しクラブで終わってしまうので、街全体を巻き込めるものをやりたかったんですよね。そんな話から、今回のガイドマップというアイデアが自然と浮かんで来たわけです。


--今回、完成までにはいろんな人たちの協力があったとか?

 やっぱり、何と言ってもいろいろなお店が掲載してくれないとガイドマップになりませんから、まず掲載店の方々の協力がなければできませんでした。
 それから、ぼくたちのような若造の話にも新所沢の飲食店の先輩たちが耳を傾けてくれて、いろいろな協力を快く引き受けていただいたことも大きかったです。また、お客さんからのアドバイスなんかもすごく力になって、たとえば市の助成金なども、お客さんから教えてもらったんですよ。
 それと、編集やグラフィック関係で協力してくれたみんなにも、とても感謝しています。


--掲載店やお客さんの反響はいかがですか?

 まだまだ配布場所を拡大中なので、成否はこれからだと思いますが、今のところでは、掲載店さんからは「普段と違う込み方をする日があって、これも『shinpo』効果かな」なんて声を頂いたり、お客さんからは「なかなか出来映えがいいね」と、とりあえず好評です。
 ぼくとしては、完成したときのみんなの笑顔が一番でしたね。ぼくなんかも、嬉しくて一日中笑ってましたし。
 それと、あらためて地域の同業の方々と交流が持てたのが、とても大きな財産になりました。なかなか、飲食店同士って知り合う機会が少ないですから。
 そんな中で、「問題は来年、再来年と続けていけるかだよ」と、先輩たちから声をかけてもらっています。その通り、単発のお祭りで終わるのではなくて、ずっと続けていくことで、本当に街の活性化につながるガイドマップにしていきたいですね。それと、このガイドマップをきっかけに、イベントの開催など、さまざまな展開につなげていきたいと考えています。
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2009-01-05

焼きいもで祈願する三富の初詣

 所沢の初詣と言えば、所澤新明社山口観音(金乗院)狭山不動尊と言ったところが有名だが、中富の多聞院も、それなりの人手で賑わう。

P1000738_2.jpg 多聞院と言えば、春のぼたんで有名だが、この地域の歴史と密接に関わる寺でもある。

 この地域は元禄9年(1696年)に川越城主・柳沢吉保によって拓かれた開拓地で、この中富に上富・下富の三か村を併せて「三富開拓地」と言う。現在も遺る地割(区画)は、「三富開拓地割遺跡」として埼玉県の史跡に指定されている。多聞院は開拓の際、入植者のよりどころとして建てられたものだ。

 そのお隣の神明社も多聞院同様、宝暦11年(1761年)に開拓民の鎮守の社として建てられたもので、「富(とめ)の神明様」として親しまれてきたという。元は一体だった両者は明治初期の神仏分離令で組織と財産は分けられたものの、今でも境内にはっきりした区切りはなく、神社と寺をはしごできるという、いかにも宗教にこだわりのない日本人的参詣が可能になっている。


 その神明社の一風変わった正月の風景が、毎年元旦と2日に行われる「焼きいも祭 いも神様報恩感謝祭」だ。2日間で3000本の焼きいもが参詣者に振る舞われる。
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P1000727.jpg いもと言えば、お隣の「川越いも」が有名だが、実はその発祥はこの三富地域。川がなく水利が悪いうえに、栄養分が少なく水はけの悪い関東ローム層(赤土)が広がるこの地域の開拓は当初、大変困難を極め、ヒエ・アワぐらいしか収穫できなかったそうだ。

 そこで寛延4年(1751年)、隣の南永井村の名主・吉田弥右衛門が、そんな土地でも良く育つというサツマイモの種いもを上総国(千葉県)から取り寄せ試作してみたところ、これが成功し、この地域に広まったという。当初は飢饉用として育てていたが、後には江戸で流行った焼きいも屋用の商品作物にもなり、貴重な現金収入源ともなったそうだ。

P1000728.jpg 神明社では2006年12月、そんな川越いもの作り始めから255年を記念して、甘藷乃神(いものかみ)をまつる社を建立した。お祭りは、この甘藷乃神に感謝するとともに、この地にいも作りをもたらした弥右衛門と、関東のいも作りの始祖といわれる江戸中期の儒学・蘭学者、青木昆陽の功績を讃え、地域の歴史を文字通り噛みしめるというのがその趣旨だ。

 お祭りでは、いもを貰った参詣者が次々と社前に置かれたいも型のオブジェを撫でていた。立ち働く氏子の一人に聞いたところによると、このオブジェは「なでいも」と言い、撫でることで、サツマイモのたくましい生命力にあやかって、健康や家内安全、子孫繁栄が祈願できるそうだ。

 初詣に付きものと言えば普通は甘酒だが、来年は焼きいもを目的に出かけられてみてはどうか。


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             多聞院の身代わり寅。災いを託して納める。

■三富地域の歴史

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2008-12-14

東川源流を辿る旅⑤-所澤神明社~上新井調整池

上新井地区

 夏の盛りにはじめたこの源流を辿る旅も、気付けばすでに初冬。前回からすでに3か月も経ってしまった。

 さて、深井醤油の先、旧市役所の突き当たりを右に曲がったら、最初の角を旧市役所の裏手へ回り込むように左へ。40mも進むと、右手に所澤神明社の参道が現れる(33)。
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 この神社の縁起は、残念ながら文政9年(1826年)の火事で社殿が消失するなどして記録が失われたため、建立時期など正確なことはわからない。しかし、鳥居脇をはじめとして、優に周囲3mを越す巨木が林立するさまは、十分に深い歴史を感じさせる。

 その巨木のある鳥居の脇、少し奥まったところに、「人形殿」というちょっと珍しい社がある。ここは人形を供養するための社で、納められた人形は、毎年6月第1日曜日に境内で行われる「人形供養祭」でお焚き上げされる。「幼い子どもたちの身代わりとなって多くの厄災を背負っている」(神明社)という人形を鎮魂する祭事だ。
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 意外に知られていないが、所沢は「人形の街」でもある。その始まりは江戸時代中期、農閑期の副業としてかき絵、はり絵の羽子板が奨励されたことから。その後、雛職人が押絵の技術を学び、羽子板作りが始まったと伝えられている。
 また、江戸末期の嘉永2年(1849年)には、人形作りも3軒の業者によって始められ、主に着付けを得意として発展。現在でも、羽子板では春日部とともに県内有数の生産地で、人形でも岩槻・鴻巣などに次ぐという。
 そうしたことから、人形供養祭は昭和50年代、所沢人形協会の主催ではじめられ、いまでは関東一円から膨大な数の人形が集まるそうだ。

 さらに先に進んで、突き当たった県道を右に行くと、焼きだんごの武蔵屋がある(34)。
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 所沢の名物と言えば焼きだんご。「焼きだんごなんてどこにでもあるじゃないか」という向きには、ぜひ一度味わって頂きたい。醤油と酒のタレを塗って焼き上げただけの単純なものだが、強い腰とズッシリ感が焦げたタレの香ばしさと合わさって、独特の味を生み出している。

武蔵野に 鷹狩りをせし 道潅の 歌宴を偲ぶ 焼きだんごかな  惣五郎

 この武蔵屋で頂いた由来書きによると、康正元年(1455年)、鷹狩りの帰途に所沢付近で薄暮となり、仲秋の名月に詩情を誘われて歌宴をはった太田道灌(最初に江戸城を築城した室町時代の武将)に、土着の名族某がだんごを焼き、自製の醤油をつけて献じたことがはじまりという。

 砂川いくお元市議のホームページでは、郷土史研究家の越坂部三郎さんの話として「水利が悪い所沢には水田がなく、享保年間(1720年頃)に陸稲(おかぼ)作りが始まった。インディカ米の陸稲は硬質で、けっして美味ではなく、鶏でさえも喜ばないと言われた代物だった。そこで『粉にでもして、焼きだんごにすれば・・・』と、文久年代(1860年頃)には、だんご作りもかなり盛んになっていたようだ。石臼を使うと自然と粗引きとなる。これが歯ごたえや甘味を醸し出して所沢の味が生れた」と紹介している。ここでは、明治時代に入ると「焼きだんご組合」ができ、規格の統一が図られたという話まで紹介されているので、ぜひご覧頂きたい。

 そんな焼きだんごも、いまでは市街には数軒が残るのみ。それでも、武蔵屋の女将さんは「おばあさんの味を守っていかなきゃ」と気丈に語っていた。
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 県道を南下すると、開明橋で再び東川と出会う(35)。

 再開発工事が進むこの橋のたもとにはかつて、これも所沢名物のひとつである酒まんじゅうの店、峰の酒まんじゅう本舗があったのだが、いまは影も形もない。武蔵屋の女将さんによると、旦那さんが亡くなった後、永らくおばあさんがひとりで切り盛りしていたのだが、通いでやっていたこともあり、歳には逆らえず、止めてしまったという。あのかわいいおばあさんは、いまも元気だろうか。
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 開明橋を渡らず、手前を右に折れると、新光寺に突き当たる(36)。
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 川はここで新光寺の下を通る暗きょとなる。「思い出で綴る故郷・所沢散歩」によると、以前、川は寺の北側を迂回していたが、たびたび大雨で溢れていたため、昭和7年に寺の南側を真っ直ぐ流れる工事が行われたそうだ。川は、寺の裏手で再び姿を現す。
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 この新光寺も新田義貞と縁があり、元弘3年(1333年)、鎌倉攻めの戦勝祈願に立ち寄ったと伝えられる。また、その帰途には再び立ち寄り、黒塗りの乗鞍を奉納したとか。それと関係があるかどうかはわからないが、地元では昔から「馬の町」の「観音様」と呼ばれ、当時の貨物や商品の運搬に活躍した馬の健康と交通安全を祈願したお祭りが毎年2月18日に開催されていたともいう。いずれにせよ、その門前から旧鎌倉街道が南に延びていることからも、交通の要所であったことがわかる。
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 この寺に、面白い伝説が残されている。

 その昔、寺には毎晩のように遊びに来るたいへん話好きのタヌキがいたそうな。囲炉裏にあたりながら世間話をして、なかなか帰らないので、和尚さんは大変迷惑していた。ある晩、とうとうタヌキは居眠りを始めたので、ついに堪忍袋の緒が切れた和尚さんは、タヌキの股に囲炉裏の中の焼け石を放り込んだそうな。びっくりしたタヌキは外へ飛び出し、「あっちいちいの新光寺、二度とくまい新光寺」と言いながら逃げて行ったとさ。(内理弘著『所沢の歴史と地理』所沢図書館所蔵)

 話好きなだけで悪さもしていないのに、ちょっとかわいそうな気もするが、何ともかわいいお話である。

 新光寺は通り抜けられないので、門前を左へ曲がり、一本目を右へ。この道を進んだ先、クランク状の角を過ぎると、再び川沿いに出る。視界が開けたと思うと、大きな水門が目に飛び込んでくる。これが「③-川端橋~東新井庚申塔」で紹介した地下河川への引き込み口というわけだ(37)。
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 その水門の脇が、弘法の湯という銭湯の裏になっている。訪れたときは、ちょうど湯を沸かしている最中で、積み上げられた木材をさかんにくべているご主人の姿があった。空に突き刺す煙突からも、もうもうと煙が上がっていた。
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 そして、さらにその先、国道463号線を渡ったところに、弘法の三ッ井戸がある。先ほどの銭湯の名前も、この井戸にちなんだものだ(38)。
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 傍らの縁起書きによると、諸国巡礼の途中、民家に水を求めた弘法大師が、遠くまで水を汲みに行く婦人の姿を見て難儀を思い、杖で三か所に印を付け、水の出る場所を教えたことから、この名が付いたという。筆の達人として知られる弘法大師こと空海だが、実は水にまつわる伝説も多く、こうした「弘法井戸」や「弘法水」は全国津々浦々、実に1600か所以上もあるそうだ。

 三ッ井戸は東川沿いにほぼ50m間隔で掘られ、現存する井戸は東端のもの。すぐ先の西友の裏口前の小堂では、弘法大師を祀っている。
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 三ッ井戸から先は、しばらく静かな住宅街の中をうららかに流れる川沿いに進むことができる。
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 しばらく進むと、西武池袋線と交差する。その傍らに、小さなトンネルがしつらえてあるが、クルマは天井もすれすれ、歩行者と行き交うことすら不可能という代物だ(39)。
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 その先の六社神社には、参道脇に小さな児童遊園地があるが、ここも、ひなびた山里の境内という感じで、ちょっとした旅情が味わえる。落ち葉がきれいに掃き集められているところを見ると、地域の住民に大切にされていることがわかる。
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 参道に架かる橋を渡り、次の橋まで進むと、たもとに小さな石塔が立っているのに気付く。「石橋供養塔」の文字が刻まれている。『郷土を探る 路傍の石をたずねて(平成版)』(所沢図書館所蔵)によると、橋は寛政13年(1801年)、当時の上新井村の有力者だった森田清左衛門が寄付したもので、その開通記念に建てられたものだという(40)。
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 川はしばらく、のどかな農村地帯の中を流れる。上新井の信号から来る二車線道路と交差する先で、道はいったん川沿いを離れるが、コの字に住宅などを迂回すると、再び西裏橋から川沿いを行くことができる。

 この辺りは、まだ未造成の地区で、川端にはまだ畑も広がり、コンクリートの護岸もなく、山里のせせらぎといった風情が楽しめる(41)。
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 少し先に進むと、新所沢駅西口から真っ直ぐ国道463号線バイパスまでを結ぶ新道が、大六天橋で川と交差する。道の向こう側には上新井調整池が大きな口を開けている(42)。
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 この調整池といい、地下河川といい、これだけ水量のない川に、それほどの治水施設が必要なのか、疑問が湧いてくる。

 調整池の脇に遊歩道があり、さらに川沿いを進むことができる。
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■焼きだんごマップ

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2008-09-12

廃線・廃墟・美術展-所沢ビエンナーレ・プレ美術展「引込線」

P1050361.jpg 所沢駅の近くに廃線跡がある、と言ったら信じない人もいるだろう。しかも、撤去されたのは、わずか2年前だ。

 所沢駅西口、広大なワルツ駐車場の背後にある西武鉄道所沢車両工場は2000年には閉鎖されたが、ここに工場に車両を出入りさせるための引込線があった。2006年に撤去されるまで、ワルツの裏手の踏切脇から本線と分岐して、この工場まで続いていた。

 しかし、工場跡地の敷地外こそ撤去されたものの、引込線は敷地内にいまだ残り、無数のポイントで交差しながら、廃墟となった工場内に引き込まれている。

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 この「引込線」をタイトルにした美術展が、8月27日から今日まで、この工場跡地で開催された。所沢市にゆかりのある美術作家たちによる「所沢ビエンナーレ・プレ美術展」だ。

 「ビエンナーレ」とは、イタリア語で2年に一度開かれる美術展覧会のこと。来年以降、所沢近郊の作家が中心となり、地域に根ざした自主企画展を開催すべく、今回はその準備展のようなスタンスでの開催だという。

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 『武蔵野美大ニュース5月号』によれば、この企画、そもそもの起こりは所沢の飲み屋での作家たちの美術談義からはじまったという。そこで、商業主義、ポピュリズムに陥った近年の美術状況を憂い、70年代に多く開かれた自主企画展の原点に立ち戻ろうというような気炎を上げたそうだ。そして、所沢という地域に根ざした企画を開催していくことが確認されたのだという。そうして紆余曲折はあったものの、市や教育委員会、西武鉄道などの協力を得て、この場所での開催がかなったという。

P1050338.jpg 工場跡でアート、そしてタイトルは「引込線」・・・いかにも興味をそそるコンセプトに誘われ、最終日の1日前に出かけてみた。

 まず圧倒されたのは、作品そのものよりも、やはり「ハコ」の大きさ、存在感。そして、当然のことながら一切の装飾を廃し、必要性のみに純化されたリアリズム。会場自体、ある意味ひとつのアートと言ってよいかもしれない。

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 今ひとつ、美術は門外漢なので、作品そのものの評価はしがたいが、いわゆる「アート」とはかけ離れ、より一般に身近な「労働」の場で開かれた意味は、それなりに感じることができた。こういうスタイルを「オフ・ミュージアム」と言うそうだが、確かに気取った美術館で肩肘張って見るより、よりリラックスして作品そのものを感じることができた。

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 何より、美術鑑賞より「ちい散歩」の方が似合いそうなおばちゃんたちがせっせと写真を撮り、昼休みとおぼしきニッカボッカ・スタイルの建設労働者が楊枝をシーシー言わせながら鑑賞している姿は、ある程度企画意図が当たった証明と言えるだろう。

 ただし、いかんせん、ハコの存在感に作品が負けてしまっている感も否めなくはなかった。また、ハコを生かし切れていたかどうか、少々疑問が残る。個人的には、戸谷成雄氏の「ミニマルバロック『双影景』」が見せる荒涼感、寂寥感が、この元工場とマッチしていて、気に入ったのだが。

 ただ、こんなに近所にありながら、何十年も入る機会がなかった場所に入ることができたという一点だけでも、「地域に根ざした企画」という意味では、成功なのではないだろうか。ニューヨークのマンハッタン島南部、廃業した倉庫街が芸術の拠点として復活したように、この広大な工場跡に、気鋭のアーティストが集まってきたら・・・などと、想像が膨らむだけでも楽しい。西武グループに、それだけの度量があれば、の話だが。
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 本番である来年、今度はどのようなロケーションで、どんな企画を打ち出してくれるのか、期待したい。

■所沢ビエンナーレ

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2008-09-06

東川源流を辿る旅④-新東橋~深井醤油

有楽町地区

 新東橋を過ぎてすぐ、和歌(短歌)の墨書が立てられていた(21)。
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山のまに雪は降りつつしかすがに川楊は萌えにけるかも

 誰が何のために立てたのかわからないが、きっと、この方の東川への愛を表現したものなのだろう。ちょっと季節外れだが。

 さて、松井橋から先は、石積みの護岸と濃い緑にグッと風情が高まる。川辺に歴史が刻まれているようで、どこか地方の城下町にでも迷い込んだ感じだ(22)。
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 またこの地域は、春は桜の名所としても名高い。川を覆うように咲き乱れる桜が、いっそう風情を高めて、ちょっとした旅行気分も味わえる。昼間もよいが、淡い提灯の灯りに浮かび上がる夜の桜もお薦めだ。

 千歳橋を渡ると、堂々たる長屋門の能面美術館がある。

 少し進むと、熊野神社と西新井不動尊が川沿いに並んでいる(23)。縁起書きによると、熊野神社の建立は1459年。現在でも、境内には元禄年間(1688~1703)に建てられた旧本殿が保存されている。一方の西新井不動尊の建立も江戸初期と古く、明治初期には堂内に寺子屋式の塾が開かれ、地域の子どもに読み書き算盤を教えていたという。
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 ちょっとお腹が空いたという向きは、少しコースを逸れ、国道463号線沿いの伝家でラーメンでもすするとよい。いわゆる横浜家系ラーメンの濃厚なスープと腰のある麺に人気も高く、大勢が航空公園に遊びに来るよく晴れた休日などは、昼時には行列もできる。
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 突然桜並木の緑のトンネルが途切れ、いきなり視界が広がると、所沢市街の入口に立つ(24)。航空公園から市街へ向かう飛行機新道が、ここでは上り下りで川の両側に分かれ、その上を西武新宿線が横断している。
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 川の北側には、かつて御幸町駅という小さな駅があったという。『むかしのところざわ百景』(峯岸正雄著、所沢図書館所蔵)によると、戦後の早い時期、まだ所沢飛行場が米軍基地だった頃、駅に登る階段で米兵の帰りを待つオンリーさんの姿を見かけたそうだ。

 西武新宿線をくぐってすぐ、古めかしいが、どことなくモダンな雰囲気を漂わせる旭橋と出会う(25)。橋には、「昭和五年三月竣工」と彫られた銅板も埋め込まれている。
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 「思い出で綴る故郷・所沢散歩」によると、かつては「巨大な赤御影石には画期的な彫刻をし、欄干には青銅、タイルで装飾、六角形の唐草模様をあしらった豪華な青銅の電燈を要所に取り付け、夜間は明るく実に見事で本を持って読みに来る若者の姿が見られた」とある。残念ながら、青銅の電燈部分は、戦争中にすべて供出されてしまったそうだ。

 この旭橋から先の東川沿いは、かつての所沢一の歓楽街。「浦町」といわれた一帯には、戦前までは料理屋や演芸場が建ち並び、芸者の行き交う粋な街だったという。戦後は一時期、赤線(もしくは青線)だったという話もあり、米兵や基地で働く男たちを慰めていたともいわれる。そう言われれば、どことなしに隠微な残り香を漂わせる。「有楽町」(うらまち)という町名に、その名残がある。
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 旭橋から川沿いに進み、鳥居橋を渡ると横宿通りに出る。この辺りで川幅は一気に狭くなる。
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 川を背にして少し進むと、右手に「港屋」という質屋の蔵が、白壁も美しく立っている(26)。実は、かつては所沢も、川越に負けない蔵の街で、こうした蔵が随所で見られた。むしろ今では「タワーマンションの街」になってしまったが、こうした歴史遺産を活用した街づくりはできなかったものかという思いもよぎるが、今となっては後の祭りだ。
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 港屋の角を右に折れると、一気に場末感が濃くなってくる。突き当たりを左に曲がると、寂しげなネオンサインが連なる盃横丁だ(27)。うらぶれた横丁の向こうに、超近代的なタワーマンションが天を突く姿は、見事なコントラストをなしていて、ある意味、一番今の所沢らしい風景かもしれない。
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 盃横丁を抜けたら、表通りを右へ。信号を超えた床屋の先に、古い町屋が見えてくる(28)。ここは、元は所沢を代表する綿糸商・秋田家という商家(屋号は井筒屋)で、最近では「井筒屋町造商店」として、市街地活性化の拠点として活動していた(現在は場所を移転し、野老澤町造商店として活動)。
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 信号まで戻って左折した小道を秋田新道と言う。先述した錦糸商・秋田家が明治43年(1910年)に開いたことからそう呼ばれている。そこにかかる小さな橋も、秋田家にちなんで井筒橋と名付けられた。この秋田新道には、筆者が所沢に越してきた1980年代はじめ頃、古びた旅館と小さなパチンコ屋(すでに廃業していた)、そして、確か小鳥屋があった。この通りに来るたび、ひなびた温泉街に迷い込んだような錯覚を感じたことを憶えている。
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 その井筒橋を渡った先の十字路に、コロッケが有名な荒幡肉店がある(29)。昭和7年創業という店は、本当に昔ながらの肉屋で、総菜が充実している。ここのコロッケは、昔からこの辺りの中高生のおやつとして親しまれ、筆者も高校時代、下校途中でよくお世話になった。
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 荒幡肉店を左折して、ひとつ目の角を左へ。再び川沿いに戻ってくると、唯一残った遊郭の跡、三好亭が立っている(30)。典型的な木造妓楼建築で、戸袋や窓枠のデザインなど、細部の意匠が凝っていて、往年の栄華を感じさせる。川を従えたその姿を眺めていると、今にも三味線の音でも聞こえてきそうだ。
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 川を背に来た道を戻り、先ほどの角を左手に行くと、薬王寺の山門が右手に見える(31)。
 南北朝時代、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の呼びかけに応え挙兵した新田義貞の子、新田義宗が開基と伝えられ、その最期の地であったともいわれている。小手指ヶ原古戦場しかり、所沢には新田義貞ゆかりの地が多い。
 境内には、相当の樹齢があろうと見られる古木が立ち並び、傍らのブランコがいかにも田舎寺風で、住民との距離が近い感じがいい。
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 薬王寺を出てさらに進み、最初の角を左へ曲がると、堂々とした木壁の向こうに白壁の蔵が連なる道に出る。ここは醤油の醸造元、深井醤油だ(32)。創業は「安政の大獄」の2年前、安政3年(1856年)というから、老舗中の老舗。なるほど、この一帯だけ何か時が止まったように感じられるわけだ。
 その先の直売所では、醤油のほかにも名物の「たまり漬」や花林糖なども販売している。
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■思い出で綴る故郷・所沢散歩

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